旭堂 南鱗
昭和51年4月入門。3代目南陵門下
講談もできる相撲解説者
「間 十次郎」
元・浅野家江戸支社に出入りの植木屋、棟梁六三郎は浅野家倒産後、以前内匠頭秘蔵の盆栽を壊しちゃった時に助けてくれた恩返しにと、十次郎が国表へ行ってる間、奥さんと坊や(おていと十太郎)のめんどうを買って出る。が、ある日棟梁の奥さん(売春婦あがりでバカ)が、坊やが他人のそら似で棟梁に似てることからおていを愛人と勘違いして頭に血が上り、母子への援助を打ち切る(棟梁たちは出張中)。母子はたちまち貧乏暮らしとなり、おていは病気になる。十太郎が浅草寺で泣いてると通りがかりの江戸っ子が「なにを泣いてるんだ。泣くならキンタマをとっちまえ。いま銭(おたから)をやるからな」と小遣いをくれる。これに味を占めた十太郎は袖乞い(積極的なコジキ)をはじめる。12/14運命の日、相変わらず吾妻橋で「お手のうちを願います」と通りがかりの侍に声をかけたら父・十次郎だった!
十次郎はすぐに妻に会い、放ったらかしを詫び金子を渡して再就職が決まったと嘘をついて去るが、おていは「エ〜、仇討ちしないんだぁ」とがっかりして十太郎と一緒に自害する。十次郎が胸騒ぎで戻ったら妻子が死んでて、遺書に「再就職はやめて仇討ちして忠義を立てて下さい」と書いてある。「感服!魂この世にあらば見物していてくれ!」と討ち入りに遅刻して参加。十次郎は見事一番槍の手柄を立てる。
桂 文昇
昭和59年6月入門 5代目文枝門下
落語は元より踊りの名手
「書き割り盗人」
悲しいことに、大判の時刻表が1冊あれば、日本国中旅したつもりになっ
てしまえます。というか、実際、時刻表を繰りくり旅して周った青春時代が
ありました。
ただ漫然と旅しても(つもりです)面白くありませんのでテーマを決めるこ
とにします。たとえば、旅館に宿泊せず夜行列車を移動と仮眠の両方に使う。
とか、ミニ周遊を利用し、指定席を利用しない。とか、全線普通車のみを使
用する。とか……
。
林家 染八
平成23年6月入門、5題名小染門下
小染師の弟子であり、愛息
「刻うどん」
知恵の働く兄貴分と少し足りない弟分が、夜道で屋台の立くちそば・うどん店を見つけ、うどんを食べようとする。代金は16文だが、弟分は8文しか持ち合わせがなく、「何だ、それだけか」と怒鳴った兄貴分も7文しかなかった。それでもかまわず兄貴分はうどんを注文し、店主の「うど~んエー、そーばやうど~ん」という客寄せの呼び声を、「やかましい」と文句を言ったり、そうこうするうちうどんができると、兄貴分は自分だけうどんを食べ、弟分が後ろから遠慮がちにつついても(うどんをくれ、という合図)、「待て待て」と言うだけ。ようやく、「そんなにこのうどん食いたいか」と渡してくれたどんぶりにはわずかなうどんが残っているだけ。勘定を払う時になると、「銭が細かいから数えながら渡す」と言って、「一、二、……七、八、今何時や」。うどん屋が「九つです」と言うと「十、十一、……十六。」歩きながら、1文足りなかったはずなのに、と不思議がる弟分だが、兄貴分からからくりを教えてもらうと大喜びで、「わいも明日やってみよう」。
翌日、早くやってみたくて明るいうちから町に出た弟分は、昨夜とは別の屋台を見つけた。何もかも昨夜と同じにやりたくてたまらないので、「うど~んエー、そーばやうど~ん」と客寄せしろと店主に言いそのとおりにすると、やかましい、と怒鳴って「そんなら歌わせなさんな」と文句を言われ、うどんを食べながら、「待て待て」とか「そんなにこのうどん食いたいか」と1人で言うので、「あんた、何か悪い霊でも付いてまんのか」と店主に気味悪がられたり、最後には、「何や、これだけしか残っとらん」とつぶやいて「あんたが食べなはったんや」とあきれられる。それでも、勘定を払う段になると大喜びで、一、二……七、八、今何時や、と聞いて、「四つです」。五、六、七、八、……というオチで終わる
お楽しみ抽選会
旭堂 南鱗
昭和51年4月入門 3代目南陵門下
講談もできる相撲解説者
「間 十次郎」
笑福亭遊喬
平成3年1月入門。6代目松喬門下
男気のある本格派。矢沢永吉ファン
「ハンカチ」
桂 ちきん
平成20年9月入門 きん枝門下
きん枝師の弟子。古い寄席芸に精通
「狸さい」
笑福亭学光
昭和50年10月入門。鶴光門下
温厚な性格。はなしか連(阿波踊り)連長。
「文七元結」
旭堂 南鱗
昭和51年4月入門。3代目南陵門下
講談もできる相撲解説者
「無名の碑」
桂 あおば
平成22年9月入門。ざこば門下
ざこば師の愛弟子。イケメン落語家
「牛ほめ」