第25回 2003.9.19

落語 桂 文福

昭和47年4月入門。文枝門下。上方演芸会きってのエンターティーナー

「お楽しみ」

 

講談 旭堂 南鱗

昭和51年4月入門。3代目南陵門下。講談もできる相撲解説者

「井上聞多」

 井上聞多(のちの馨)が尊攘運動を始めたのは、文久年間になってからである。天保6年萩藩士、井上光亨の二男としてうまれ、明倫艦に学んだ。

 21歳のとき、250石取りの志道家の養子となり、その後江戸へ出て砲術や蘭学を学んだ。25歳のとき世子、毛利定弘の側近となった。ちなみに聞多は桂小五郎より2歳下で、高杉晋作より4歳年上となる。聞多はよく村塾生とまちがえられるが、吉田松陰の教えを受けた事はなかった。だが松陰門下生とは深くかかわり、文久2年の攘夷血盟書にも名を連ねています

講談 旭堂 南華

昭和60年6月入門。3代目南陵門下。貝塚市清児出身の女流講談師

「無心は強い」

 

 

第24回 2003.5.30

講談 旭堂 南鱗

「水戸黄門漫遊記・牛盗人」

 

落語 桂 福車

昭和58年11月入門。福団治門下。正義感の強い落語界の秘密兵器

「二人ぐせ」

 

落語 林家卯三郎

平成11年4月入門。染丸門下。獣医の資格を持つ変わり種

「阿弥陀池」

 

 男が「自分は新聞なんて読まなくても世間のことは何でも知っている」と言うので、それを聞いた友人がそれならこれを知っているかと、阿弥陀池の尼寺に泥棒が入った話を始める。泥棒がピストルを尼さんに突きつけると、尼さんが何と胸を突き出した。自分の主人が戦争で胸を打たれて死んだので、どうせ死ぬなら夫と同じところを打たれて死にたいという尼に、泥棒が「あなたは自分の命を助けてくれた上官の奥様でしたか。こちらこそ死んでお詫びをする」という。尼が「元からの悪人はいないはず。誰かにそそのかされて泥棒に入ったのでしょう」というと、泥棒は「はい、阿弥陀が行けと言いました」。
 真剣に話を聞いていた男は、話が友人の言葉遊びだったことに気づいて悔しがる。その後もいくつも、面白い話をされてはそれが冗談だとわかり、悔しいから同じ話を他人にしてこちらが騙してやろうと話を聞いてくれる人を探す。

やっと見つけて、米屋に泥棒が入った話を始めて、米屋の若いものが刺された場面に差し掛かると聞いていた相手が大騒ぎ。その男は聞いていた相手の義理の弟だという。慌てて言葉遊びの嘘だと訳を話すと、誰の指図でこんな嘘を言いに来たんだと相手が怒るもんだから、男は「阿弥陀が行けと言いました」。

第23回 2003.1.24

講談 旭堂 南鱗

「楠木の泣き男」

 

落語 桂 つく枝

平成3年4月入門。文枝門下。記念すべき第1回の前座も10年選手に

「ちりとてちん」

旦那の誕生日に、近所に住む男が訪ねて来る。

白菊、鯛の刺身、茶碗蒸し、白飯に至るまで、出された食事に嬉しがり、「初めて食べる」、「初物を食べると寿命が75日延びる」とべんちゃら(お世辞)を言い、旦那を喜ばせる男。

そのうち、裏に住む竹の話になる。件の男、何でも知ったかぶりをするため、誕生日の趣向として、竹に一泡吹かせる相談を始める。

そこへ、水屋で腐った豆腐が見つかり、これを「元祖 長崎名産 ちりとてちん」(または「長崎名物 ちりとてちん」)として竹に食わせるという相談がまとまる。

そうとは知らずに訪れた竹が、案の定「ちりとてちん」を知っていると言うので食わせると、一口で悶え苦しむ。

旦那が「どんな味や?」と聞くと、竹いわく「ちょうど豆腐の腐ったような味や・・・」。

落語 桂 福矢

平成6年4月入門。福団治門下。読書好きの勉強家。独身です

「延陽白」