講談 旭堂 南鱗
昭和51年4月入門。3代目南陵門下。講談もできる相撲解説者。
「雷電の初相撲」
雷電爲右エ門(雷電為右衛門 、らいでん ためえもん、明和4年(1767年) - 文政8年2月21日(1825年4月9日)は、信濃国小県郡大石村(現長野県東御市)生まれの江戸時代の大関。本名:関太郎吉(爲右衛門)。力士生活21年、江戸本場所36場所中(大関は27場所)で通算で喫した黒星がわずかに10、勝率は9割6分2厘であり、大相撲史上、古今未曾有の最強力士に推す意見も多い。横綱免許は受けなかったが豊岡八幡宮の横綱力士碑に「無類力士」として顕彰されており、横綱と同列に扱われる場合もある。
落語 露の 吉次
昭和62年7月入門。五郎門下。野球・ゴルフが大好きなスポーツマン
「崇徳院」
『崇徳院』(すとくいん)は、古典落語の演目の一つ。元々は上方落語の演目で、後に東京でも口演されるようになった。
一門の垣根を越えて幅広く演じられているが、30分程度を要する大ネタであるため、普通の寄席ではベテランの噺家でないと持ち時間的に演じることはできない。独演会などの落語会で、中入り前やトリの演目として出されることが多い。
この作品は初代桂文治の作といわれ、後世に改作などを繰り返し現在の形になったとされる。
落語 桂 三之助
平成7年10月入門。三枝門下。元野球少年の大型若手
「お忘れ物承り所」
駅のお忘れ物承り所を舞台に、色んな忘れ物をした人たちがやって来ます。
講談 旭堂 南鱗
「秀吉と易者」
講談 旭堂 南鱗
「千両の富くじ」
ある年の瀬に石橋健一郎という侍が、商家の丁稚が金をすられたのを見かねて、なけなしの二両のうちから一両二分という金を恵んでしまう。
半ばやけになり残った金で富くじを買うが、それが千両の大当たり。
ところが、女房に「明日の暮らしを賭けたなんて。沽券に関わる。」と言われ当たりくじを燃やしてしまう。
何とか年を越し、上司の家に年賀に行くと、最近珍しく金に執着しない武士らしい武士がいるとの噂。
上司は瓦版売りや勧進元を調べ石橋がその張本人だと知っていた。
その上司は国許にまで報告し、石橋は200石に出世。
17年後、またまた大阪に蔵奉行にまで出世して赴任してきた石橋に、紙問屋近江屋の主人が訪れる。
この近江屋こそ、あのときの丁稚だった。、、、、ってお話。
落語 桂 貴春
平成3年12月入門。春団治門下。大御所春団治師の薫陶を受ける
「ぜんざい公社」