講談 旭堂 南鱗 昭和51年4月入門。3代目南陵門下。講談もできる相撲解説者
「樫井川の合戦」
樫井川の合戦は、1615年(元和元年、正確には慶長20年というべきか)4月29日未明、大野主馬を主将とした豊臣方2万(1説では4万とも)の軍勢が浅野長晟率いる紀州浅野勢5千の兵に挑み惨敗した戦いである。
数の上で劣勢な紀州軍が、大坂軍の大群が流れ込めないように地の利を生かした布陣を採ったこと、一方の寄せ集めの大坂軍は、功名を得ようと先陣争いして我先に飛び出そうとしたことなどが勝敗を決めることになったと言われる。
大坂方先陣の先鋒塙団右衛門直之と岡部大学が戦功を急いで飛び出して戦った結果敗退し、塙直之の手に加わっていた泉南の土豪淡輪六郎兵衛も格闘の末戦死したことで、大坂方の士気に大きくひびき、その後10日も経たない5月7日に堅固を誇っていた大坂城は落城した。この大坂夏の陣の前哨戦となった樫井の合戦の敗北は豊臣を滅亡に追いやることになったはなし。
落語 笑福亭伯枝 昭和57年10月入門。6代目松鶴門下。師匠譲りの豪快な語り口が魅力。
「七度狐」
主な登場人物は、喜六、清八、煮売り屋の親爺、お百姓さん、
七度狐(尼僧、村の若い衆、お小夜後家)
髪型落語に特徴的な旅の噺です。「七度狐」は「東の旅」と呼ばれるお伊勢参りの道中記の一遍です。
講談 旭堂 花鱗 平成13年4月入門。南鱗門下。南鱗の一番弟子。日々努力中
「宮本無三四」
会場の様子
講談 旭堂 南鱗
「角屋船の由来」
世にいう本能寺の変、織田信長が明智光秀の裏切りで殺されたとき後の天下人家康は信長を見送るためにわずかな家来とともに堺まで来ていた。明智光秀はこの機に家康を亡きものにしてしまおうと大軍を差し向ける。家康は絶体絶命、一時は切腹も覚悟するが本田平八郎たちに励まされ大和、伊賀を越えて逃げることにした。険しい山々を行く一行にじわじわと追っ手が迫る。ようやく伊勢に出た後、三河まで船で渡るだけとなったときに海上には光秀の軍勢が船番所を作って待ち受けていた。
落語 桂 枝女太 昭和52年1月入門。5代目文枝門下。30年近いキャリアだが、いつまでも若々しい。
「悋気の独楽」
夜になるといつも外出する旦那。それを「女のところでは」とあやしく思った女房は、小僧に後をつけさせる。するとやはり、旦那は妾のところへ。小僧に気づいた旦那は、小僧を買収し、妾の家に連れて行く。そこでは、3つの独楽でその晩の旦那の身の振り方を占うことにしていた。小僧は、その辻占の独楽をみやげにもらって帰ってくるのだが……
会場の様子
講談 旭堂 南鱗
「宇治川の一番渡り」
講談 旭堂 花鱗
「貧乏神」
正月恒例のお楽しみ抽選会